無気力における無産者適正についての見解(未完)
やぁ
皆さんいかがお過ごしだろうか
僕は相変わらず 何もない日々を なんとなく、苦しみながら生きています。
在宅ワークになった方も、現場で文字通り命を削って働いている方も
苦しい思いをしながら生きているんだろうか。どうですか?
というか間違いなく苦痛を感じながら生きているに違いない。そうに違いない
じゃないと僕が納得できないから、そういうことにしておいてほしい。
働けば疲れがたまるし、明日も仕事があると思うと満足に休息も取れない、夜通し酒盛りをすることもなければ くたくたになるまでスポーツに励むことも ままならないだろう。そもそも労働というのが無ければ無いほどいい唯一の概念だと思う。唯一は言い過ぎか、だって差別とか公害とかもなくなってほしいもん。
まぁとにかく明日から一生働かなくていいよ~って言われたらうれしい人の方が多いと思う。
今回はそんな前提からかけ離れた、やる気のない奴ほど労働に向いているのではないか。というお話を、僕の経験メイン(つまり超主観)でお話していきたい。
まず現代の無産者(労働者階級)について。
少しのインターンとアルバイトしか経験はないが、決められた時間に起きて1時間ほどかけて出勤、休憩をはさみ夕暮れまで働いたのち1時間かけて帰宅。といったものが殆どであろう。
さらに労働による疲弊を考慮すれば、自由時間など豆粒程度しか取れないだろう。実際僕はそうだった。
僕のプチ労働体験(笑)しかサンプルにないのは申し訳ないが、社会人の方はこういったタイムテーブルで普段働いていると仮定して話を進めさせていただく。
次に無気力者について。
便宜上無気力者と表記しているが、つまりはやる気のない人間ということだ。
具体的に言えば、1日中ぼーっとして、家事をするでもなく、勉強をするでもなく、ゲームや酒なんかにも興味を示さない本当の意味で何もしない人間のことだ。
私はこの状況を人生で2回経験したことがある。
1回目は大学1年生の夏、私は友達もいない(いろいろ察してほしい)知らない土地で初めての長期休暇を迎え、高校時代の貯金を切り崩しながらアルバイトもせず暮らしていた。当時は一人暮らしをすることにエネルギーのほとんどを奪われており、授業もなく、人と会う予定もない私の生活環境と自律神経は大荒れしていた。
結果、人と関わることも、話すことも、ましてや食事さえも億劫になってしまい、3日間ほど水だけを飲み、眠るわけでもなくベッドに横たわり、一日を終えるという生活していたことがある。漠然と、死ぬんだなぁとか 生きてる意味ってなんだ というような恥ずかしすぎるフィロソフィーに酔いしれており、マジで気持ち悪いと思う。
当時を振り返ればうつ状態であったことは明確だが、死ななくてよかったと思う。
2回目は現在。
就職活動中に例の新型ウィルスが大流行しすべてが無茶苦茶になってしまった上、外出自粛要請で引きこもり状態になり、体中のやる気が吐息と一緒に白いモヤになって空中へ消えて行ってしまった。
あの頃とは違い一人暮らしにも慣れているので、決まった時間に起きてほどほどに食事を採ってはいるものの、何もしない。
全く何もする気が起きない。
酒もほどほど、ゲームもそれなり、就活は極僅か。 ゴミである。
では、なぜこのような人間が労働に向いていという結論に至ったか。
めんどくさくなったのでまた今度書こうと思う。でも何かしたという足跡は欲しいので公開する。じゃあまたね バイバイ